従来の歴史記述の方法を乗り越えた斬新な音楽史研究と、該博な知識に裏打ちされた先鋭的な批評によって、西洋の音楽文化に新たな次元を切り拓いてきた。他の追随を許さないその仕事は、音楽において言論が創造的価値を持つことを示し、音楽の世界に大きな足跡を残した。
Opera and Drama in Russia as Preached and Practiced in the 1860s, UMI Research Press, 1981.
Musorgsky: Eight Essays and an Epilogue, Princeton University Press, 1993.
Text and Act: Essays on Music and Performance, Oxford University Press, 1995.
Stravinsky and the Russian Traditions: A Biography of the Works through Mavra, University of California Press, 1996.
Defining Russia Musically: Historical and Hermeneutical Essays, Princeton University Press, 1997.
The Oxford History of Western Music, Oxford University Press, 2005.
The Danger of Music and Other Anti-Utopian Essays, University of California Press, 2008.
On Russian Music, University of California Press, 2008.
Russian Music at Home and Abroad: New Essays, University of California Press, 2016.
リチャード・タラスキン博士は、古楽の演奏、研究から出発し、近代ロシア音楽に関する画期的かつ重要な研究を行い、さらに大部の西洋音楽史を発表して、読者を啓発し続けてきた音楽学者、批評家である。
コロンビア大学でロシア語を、そして大学院では西洋音楽史を中心に音楽学を専攻し、歴史的音楽学で博士号を取得後、同大学に奉職した。1980年代を中心に『ニューヨーク・タイムズ』紙をはじめとする新聞や論文などで展開した主張は、同時代の古楽演奏が、しばしばその拠り所とする「真正性(オーセンティシティー)」にではなく、むしろ20世紀後半の美学を反映しているという刺激的な立論で、それは、その後の古楽演奏に有形無形の影響を及ぼし、現代に到っている。
ロシア音楽研究においても強い影響力を持っている。ロシアのオペラや、作曲家のムソルグスキー、ストラヴィンスキーなどについての研究は、民俗学をはじめとする周辺情報を徹底的に渉猟しながら、作品自体にも深く斬りこむ画期的な手法によって作曲家像を塗り替え、音楽学研究の方法論自体を更新した。
また、6巻からなる『オックスフォード西洋音楽史』(2005)は、記譜(書記性)によって伝承された音楽という独自の視点によって貫かれており、一人の著者によって書かれた最大の音楽通史として、21世紀の音楽学における金字塔である。タラスキン博士は、これまで同質的な基準の下で書かれてきた西洋音楽の歴史が、その実、互いに異質で微細な歴史の集合体として成り立っていることを、実際の膨大な記述によって示そうとした。そこには、民族音楽学の方法論上の成果や、歴史記述に対する歴史学の批判的取り組みからの影響も読み取れる。音楽以外の多様な文化領域についての深い考察を駆使しながら、それを記譜された音楽の分析とより合わせていく斬新な西洋音楽学史の記述はスリリングかつ啓発的である。
タラスキン博士は、音楽に関する従来の批評と学問との境目を取り払い、また伝統的な音楽史学と民族音楽学との境目を取り払うという新たな次元を音楽研究に切り拓いた。音楽において、作曲や演奏だけではなく、緻密なことばを通して文脈化する作業がきわめて創造的であり、世界の音楽文化に貢献するものであるということを、きわめて高い次元で示した。
以上の理由によって、リチャード・タラスキン博士に思想・芸術部門における第33回(2017)京都賞を贈呈する。
本講演では、並外れて幸運だった私自身のキャリアを例に引きながら、歴史記述や批評に関するいくつかの問題と、音楽の研究と実践における様々な側面と音楽学との関係についてお話しさせていただきます。具体的には、主体性と偶然性の弁証法、あるいは相互作用、因果関係の本質、学問において個人の価値観に基づく解釈や批評と事実の伝達との適切なバランスが必要であること、さらには、芸術作品を媒介する際のことばの重要性と、そのことばを確立するために音楽学者がなすべきこと、などです。
私の場合、幼い頃に思い描いていた仕事に就くことができたという意味では、これまで歩んできた道のりは真っすぐな道だったと言えます。しかし別の意味で、それは曲がりくねった道でもありました。なぜなら、道の途中で、思いも寄らなかった研究領域に足を踏み入れたり、一介の研究者にはめったに訪れないような機会に恵まれたりもしたからです。音楽学者や音楽史家としての私の仕事に大いに役立っているのは、一時的に行っていた他の音楽活動で、運命の巡り合わせが違っていたら、私はそちらの道に進んでいたかもしれません。たとえば、作曲を勉強したことや、短期間ながら古楽のプロ奏者として活動したことがそれに当たりますが、音楽以外でも、ロシア語やロシア文学、そしてロシア文化を学んだことが大いに役立っています。また、本格的な学術研究や論文の執筆と並行して、新聞や雑誌に寄稿する機会を得たことは、それまでの文体やコミュニケーション方法を見直す大きなきっかけにもなり、こうして身につけた文体やコミュニケーション方法を、私は教え子に伝えてきたのです。さらに私の場合、他の研究者にはないような経験と専門知識をもとに打ち立てた仮説が、一見奇抜に思えたものの、結局はその有益性と影響力を認められることになったのでした。自分が思いもよらぬ道のりの果てにそうした仮説にたどり着いたことを考えると、人間が何を成し遂げたにせよ、それは決して必然でもなければ絶対不変のものでもないと思わざるを得ません。
教え子に常々話してきたことですが、何かを創造する仕事で実績を残すには三つの条件が必要です。それは、適性(「才能」や「能力」と言ってもいいでしょう)、野心(もう少し穏やかな表現がお好みなら「意欲」や「やる気」)、そして機会(「運」とも言います)で、このうちのどれか一つが欠けてもうまくいきません。一人ひとりに当てはまることは、誰にでも当てはまることでもあります。ですから私は、歴史に関する文章を書く時には、重要人物の才能や類まれなる能力だけでなく、重要な出来事の決定要因としての戦略と偶然性の綱引きも重視しています。芸術の歴史記述の分野には、その誕生当初から感受性を重んじるロマンチシズム的傾向があり、今もなおその名残が見て取れます。そのため、より現実的な側面を強調するアプローチが、時に物議を醸すこともありました。したがって、現実を正しく認識するうえで自らを省みることは必要であり、今回、そうした機会を与えていただきましたことを嬉しく思っています。
Stravinsky’s Mavra: Lecture and Performance