科学的思考の特徴は反証可能性にあるとする「批判的合理主義」を主張した新しい思想と、社会の発展のあり方を的確に捉えることにより、哲学のみならず人文・社会科学から自然科学にまで及ぶ、現代の知的状況の形成に多大な影響を与えてきた20世紀の開かれた精神を象徴する哲学者である。
[受賞当時の部門 / 対象分野: 精神科学・表現芸術部門 / 哲学(20世紀の思想)]
Logik der Forschung(1971年邦訳『科学的発見の論理』)
The Open Society and Its Enemies(1980年邦訳『開いた社会とその敵』)
Confectures and Refutations(1980年邦訳『推論と論駁』)
Objective Knowledge(1974年邦訳『客観的知識』)
The Self and Its Brain(1986年邦訳『自我と脳』)
The Open Universe: An Argument for Indeterminism
カール・ライムント・ポパー卿は、その思想の卓越性と影響力において、20世紀を代表する正統本格派の哲学者であり、その批判的合理主義の哲学は、あらゆる独断論を斥け、柔軟で開かれた思考に貫かれている。
業績の中核をなす科学哲学において、ポパー卿は帰納主義的な科学論を批判して、科学法則は普遍的言明であり、それは個々の事実によって完全に検証されえないが、逆にただ一つの事例によっても完全に反証されることを指摘して、科学的知識の特質は検証ではなく反証すなわち批判の可能性にあるとする鋭利な議論に展開した。
こうしてポパー卿は、科学をはじめ人間の知的営為における批判活動の重要性を強調しつつ「批判的合理主義」の立場を確立して、その立場から、進化論的認識論とも呼ばれるその認識論や、物理的世界(「世界1」)とも心理的世界(「世界2」)とも区別されるべき客観的思考内容の世界(「世界3」)の実在性の主張など、多くの優れた独自の理論を提示した。
他方ポパー卿は、第二次世界大戦の状況に思いをこらして、『開いた社会とその敵』を世に問い、左右両派の全体主義と徹底的に対決した。その厳しい批判の標的は、歴史的発展の法則の把握によって人類の未来を予見できるとする宿命論的・決定論的な歴史観、すなわち、ヘーゲルとマルクスに代表される「歴史主義」の思想である。ポパー卿はこの思想が生み出す「閉じた社会」を斥け、自由で民主的な「開いた社会」のために、人間の本性への洞察に基づく「漸次的社会工学」を提唱した。
このようにしてポパー卿の哲学は、今世紀を特徴づける知的混乱の中で、科学の基礎を明晰に解明するとともに、新しい社会発展のあり方に着実な指針を与えて、哲学の固有領域のみならず、広く自然科学から人文・社会科学にわたる第一線の科学者たちに多くの影響を与えてきたのである。
以上のような偉大な業績により、カール・ライムント・ポパー卿は、第8回京都賞精神科学・表現芸術部門の受賞者として最もふさわしい人である。
私はこの講演の中で、私自身の教育とその後の学究的な生活について、順を追って説明していきたい。また、これに合わせて、私の成長に様々な影響を及ぼした書物や博識な知人との交流についても述べたい。
職業を選ぶに当たって、小学校の教師になろうと決心したが、後に中学校の教師になろうと考え直し、そのために、ウィーン大学で数学と物理学を専攻することになった。
私は哲学上の問題にも大いに興味をそそられたが、自分でそうした問題を解決できるなどとは思ってもみなかった。ダーウィンの進化論をはじめとする物理学上の問題の方にはるかに大きな関心を持っていたのである。教師になった後、現在のいわゆる科学哲学をテーマに扱った『The Logic of Scientific Discovery(科学的発見の論理)』を出版したのであるが、ヒットラーの侵攻で海外移住を考えなければならなくなった時に、この本のおかげで、それまでは夢にも思わなかった大学での研究の道が開けることになった。
私が科学の方法論の道に進んだきっかけは、マルクス主義を批判しようという試みからで、1919年の秋のことであった。社会主義または共産主義は「資本主義」を必ず打破しなければならないというマルクス理論の科学的地位に対する主張を分析しようという試みの中で、私は真の科学と疑似科学とを区別する基準は何かを自問することになった。このマルクス主義批判は、25年後に『The Open Society and its Enemies(開かれた社会とその敵)』という本となって実を結ぶことになるが、科学の方法論における問題は、私自身の哲学の中心的問題となり、結果として、他の多くの有益な問題へと導いてくれたのである。