2003年思想・芸術部門映画・演劇
初代 吉田 玉男 写真

初代 吉田 玉男
(Tamao Yoshida Ⅰ)

  • 日本 / 1919年-2006年
  • 文楽人形遣い

日本を代表する古典演劇 文楽 の人形遣いの第一人者

日本の古典芸能である「文楽」の人形遣いとして最高峰にあり、単に技芸の伝承にとどまらず、長年のたゆまぬ努力によって培われた芸と、物語と役の性根に深い理解をもって、人形の動きに創意・創作を加えることにより、人間以上の情を描き出し、「文楽」を世界で最も高度で洗練された人形劇にまで高めた。

プロフィール

略歴

1919年
大阪市生まれ
1933年
14歳で人形遣い吉田玉次郎に入門、「吉田玉男」と名乗る
1934年
四ツ橋文楽座初役
1940年
兵役(都合5年5ヶ月)のため活動中断
1946年
主遣いを皮切りに活動再開
1955年
『曽根崎心中』復活上演で「徳兵衛」役を主遣う
1962年
米国シアトル博覧会で初の海外公演
1968年
初のヨーロッパ公演
2002年
『曽根崎心中』の「徳兵衛」役1111回目の上演

主な受賞と栄誉

1977年
重要無形文化財保持者(人間国宝)
1978年
紫綬褒章を受章
1985年、1995年
第4回、第14回 国立劇場文楽賞文楽特別賞
1989年
勲四等旭日小綬章
1998年
1997年度朝日賞
2000年
文化功労者

主な演目と役どころ

演目

役どころ

『曽根崎心中』

徳兵衛

『心中天網島』

治兵衛

『菅原伝授手習鑑』

管丞相、松王丸

『平家女護島』

俊寛

『義経千本桜』

知盛、権太

『仮名手本忠臣蔵』

由良助

『一谷嫩軍記』

熊谷次郎直実

贈賞理由

日本を代表する古典演劇 文楽 の人形遣いの第一人者

吉田玉男師は、日本の古典芸能である「文楽」にあって、長年のたゆまぬ努力を通じて培われた芸と物語に対する深い理解をもって、人形の動きに創意・創作を加えることにより人間以上の情を描き出し、「文楽」を世界で最も高度で洗練された人形劇の位置にまで高めた舞台芸術家である。

「文楽」は、能楽、歌舞伎とともに、日本の三大古典芸能の1つであり、17世紀末に語りの名人であった竹本義太夫が、当時日本最高の劇作家であった近松門左衛門と提携した「竹本座」の人形浄瑠璃が起こりで、三味線の伴奏に乗せて、義太夫は物語の一語一語吟味した音を表現し、それに合わせて3人の人形遣いが一体の人形を動かす。義太夫と三味線と人形遣いが三位一体となって、人間が演じる以上の喜怒哀楽を表現する芝居である。

今日、日本でシェークスピアに匹敵するといわれる近松の名作の大部分は元々文楽劇のために書かれたものである。世界のほとんどの人形芝居は人形の特性を生かして、人間では表現不可能なメルヘンやファンタジーの世界を描く演劇として発展してきたのに対し、「文楽」では、近松と義太夫が、人形を使って人間以上の情を描くことを目指しただけに、「文楽」は近松の劇文学の高さと相まって、人間が演じる芝居を凌駕するほどの豊かな内容を持っている。その中で、人形独特の美と動き、表現を見せるのが人形遣いの腕であり見せ場になる。

玉男師は、人形遣いとして単にその技芸の伝承にとどまらず、あくまで浄瑠璃に描かれた人間像の表現を追求する姿勢を貫き、古典の役で人形の見せ場とされてきた演技でも、観客の喝采を浴びる派手な動きや形を見せる演技、納得のいかない表現は退けてきた。動きの少ない『菅原伝授手習鑑』の「菅丞相」が絶賛されるのも、玉男師の客受けを退けてきた人柄と芸への真摯な姿勢によるもので、玉男師の芸の特色は品格の高さにあるといわれる所以である。

戦後の「文楽」は観客が減少する一方で、一座が2つに分裂する時代が長く続き、また名人といわれた人たちが次々と亡くなるという危機に何度か見舞われた。しかし、玉男師は「文楽」の中心メンバーとして、豊かな感性で芸に工夫を加え、観客の厳しい目を謙虚に受け止めながら、その芸を磨き上げ、多くの人々の感動を呼び寄せて、それらの危機を乗り越えてきた。

1977年には日本政府から重要無形文化財保持者(人間国宝)、2000年には文化功労者に選ばれ、84歳になる今も、文楽人形遣いの最高峰として舞台の先頭に立ち、その技芸は衰えるどころかますます冴え渡っている。その見事な演技は、数多くの海外公演を通じて絶賛されている。「文楽」を通して、人間の精神表現の道を極めた吉田玉男師は、世界を代表する芸術家の一人である。

以上の理由によって、吉田玉男師に思想・芸術部門における第19回(2003)京都賞を贈呈する。

記念講演

記念講演要旨

文楽の男

男の社会は、どんな分野でも競争がある。その結果、「ねたましい」とか「うらやましい」とか、羨望と嫉妬の感情が渦巻く。それは女性以上とも思われる。文楽の世界も、例外ではないだろう。

ところが、吉田玉男師の芸歴をふりかえってみると、そんなことには無縁、とも思えるほど恬淡としている。なぜか。

玉男師が「僕は要領がいいと人から言われている」と、みずから話された時、思い当った。要領がいいということは、できるだけ無駄をはぶき、仕事に集中して、脇見をしない、ということでもあったのだ。

玉男師は器用な人ではない。お上手も言えない。その結果、仕事―つまり人形を遣って、いい芸を見せて、客を楽しませること、そのことだけ精一杯やるしかないと心に決め、その信念を貫いてきた結果ではなかったか。耳なじんだいい名跡を継ぐことなど、玉男師にとってどうでもよいことだったかもしれない。そこが、たまらなく美しい。

玉男師の人形は、役の性根の解釈が行き届き、控えめな動きの中に、上品な色気がある。そして今や、その「品位」が「品格」の域にまで高められている。文楽のかしらにたとえれば「孔明」がぴたりで、思慮深い。

「文楽の男」は、玉男師そのものであり、また、玉男師が遣う役にもあてはまる。本日の講演会では、文楽と共に歩んでこられた玉男師の人生観を、玉男師のやわらかなお人柄と雰囲気と併せて、できるだけ皆様に紹介することを心がけたい。

(聞き手・文) 山川 静夫

【関連情報】
記念講演録(PDF)
ワークショップ

ワークショップ

文楽と吉田玉男

Bunraku and Tamao Yoshida

日時
2003年11月12日
場所
国立京都国際会館
企画・司会
水落 潔 [(専門委員会 委員)桜美林大学 総合文化科 教授]

プログラム

13:15
開会
挨拶 高階 秀爾 [(審査委員会 委員長)東京大学 名誉教授]
文楽入門 (ビデオ上映)
受賞者紹介 水落 潔
芸談 「玉男師に芸風を聞く」
吉田 玉男 [思想・芸術部門 受賞者]
水落 潔
文楽上演の名場面のビデオをまじえて
『菅原伝授手習鑑』 丞相名残の段
『平家女護島』 鬼界が島の段
『曽根崎心中』 天満屋の段
休憩
フォーラム 「吉田玉男の芸とこれからの文楽」
司会:水落 潔
パネリスト:吉田 玉男、権藤 芳一[演劇評論家]、竹本 綱大夫[文楽太夫]、森西 真弓[池坊短期大学 助教授・『上方芸能』編集長]
17:30
閉会
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