2015年思想・芸術部門映画・演劇
ジョン・ノイマイヤー 写真

ジョン・ノイマイヤー
(John Neumeier)

  • ドイツ·アメリカ / 1942年2月24日
  • 振付家
  • ハンブルク·バレエ団 総裁·芸術監督

20世紀バレエの流れを刷新し、今世紀もなお世界の舞踊界を牽引し続ける振付家

伝統的なバレエの動きをベースとしながら、身体の持つ表現力を最大限に引き出し、人間心理を巧みに表現した振付によって舞踊界をリードし続けている。20 世紀以降のバレエ史において 2 つに分かれて発展してきた劇的バレエと抽象バレエの本質を統合し、舞踊という芸術を一段の高みへと引き上げた。

プロフィール

略歴

1942年
米国ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ
1961年
米国マーケット大学卒業(英文学・演劇学専攻)
1962年
英国ロイヤル・バレエ学校に学ぶ
1963年
シュツットガルト·バレエ団にてダンサー·振付家として活動
1969年
フランクフルト·バレエ団 監督
1973年
ハンブルク·バレエ団 芸術監督·主席振付家
1978年
ハンブルク·バレエ学校を創立
1996年
ハンブルク·バレエ団 総裁
2006年
ジョン·ノイマイヤー財団を設立
2011年
ナショナル·ユース·バレエ(ドイツ)を立ち上げる

主な受賞と栄誉

1983年
ダンス·マガジン賞
1988年
ドイツ舞踊賞、ディアギレフ賞
2006年
ニジンスキー賞
2007年
ヘルベルト·フォン·カラヤン音楽賞
2008年
ドイツ舞踊賞

主な作品

1971年

『ロミオとジュリエット』 『くるみ割り人形』

1975年

『マーラー交響曲第3番』

1976年

『幻想 —「白鳥の湖」のように』

1978年

『椿姫』 『眠れる森の美女』

1985年

『オテロ』

1989年

『月に寄せる七つの俳句』

1995年

『オデュッセイア』

2000年

『ニジンスキー』 『時節ときの色』

2005年

『人魚姫』

2011年

『リリオム』

2014年

『タチヤーナ』

贈賞理由

20世紀バレエの流れを刷新し、今世紀もなお世界の舞踊界を牽引し続ける振付家

ジョン・ノイマイヤー氏は、伝統的なバレエの動きをベースにしながら身体の持つ表現力を最大限に引き出し、それによって人間心理を深く探求している振付家である。

1942年にアメリカに生まれたノイマイヤー氏は文学を修めるかたわら舞踊を学び、1963年にドイツのシュツットガルト・バレエ団に入団した。演劇的バレエの主要な発信地であった同団で早くから創作の気風に触れ、才能を開花させる。1973年にはハンブルク・バレエ団の芸術監督に就任、以来40年以上にわたり多幕物の新作を精力的に発表し、バレエ界をリードし続けている。

氏の作品群は、大きく3つに分けられる。すなわち、『幻想―「白鳥の湖」のように』に代表される「古典バレエの現代的な読み直し」、『椿姫』をはじめとする「文学のバレエ化」、『マーラー交響曲第3番』他の「名作音楽を用いた抽象作品」である。身体の離れ業を内面表現へと転化させ、元になる物語や音楽の本質的な味わいを引き出す氏の手腕は比類が無く、劇中劇をはじめとする計算され尽くした演出手法や卓抜な照明術が示す通り、その創作へのアプローチは極めて知的である。一方で、男女の愛、登場人物への共感、人類愛と、様々なレベルで熱い感情が作品の底流をなしてもおり、それがまた、氏の作品を各国の一流バレエ団やダンサーがレパートリーに熱望してやまない理由でもある。日本文化にも関心が深く、東京バレエ団に委嘱された『月に寄せる七つの俳句』や『時節の色』では、日本的繊細さや叙情性と、それを取り巻く折々の季節感の変化をみごとに表現している。

20世紀以降のバレエは、19世紀のロマン主義的な妖精譚とは一線を画すリアルな人間造形を中心に据えた「身体の演劇」と、楽曲に緊密に対応した「観る音楽」の2つに分かれて発展してきたが、「身体の動きによる精神の表出」という舞踊ならではの営みに対しきわめて自覚的なノイマイヤー氏は、長年にわたる活動の過程でしだいに両者の本質を統合し、バレエという芸術全体を一段の高みへと引き上げたというべきだろう。その作品を踊ることでダンサーが成長し、その名演が観客を含めたバレエ界全体を成熟させるだけでなく、次世代の振付家に対しても、創作の出発点としての深い思索を促さずにはおかない。今後もノイマイヤー氏の影響力は多大であるに違いない。

以上の理由によって、ジョン・ノイマイヤー氏に思想・芸術部門における第31回(2015)京都賞を贈呈する。

記念講演

記念講演要旨

ダンス ―感情に生きたかたちを与える

記念講演会では、ダンスという芸術に対する私自身の考え、すなわち、感情に生きたかたちを与えるものとしてのダンスについて、バレエ・ダンサー、振付家、芸術家としての私の成長をもたらしてくれた今までの道のりや舞台、出来事や経験を振り返りながら、お話ししたいと思います。幼い頃から思春期にかけての様々な出来事(早くにデッサンや絵画の才能に気づく一方で、バレエの舞台に言いようのない魅力を感じ、自らの体の動きで感情を表現したいという抗しがたい衝動に駆られていたこと)を織り交ぜながら、こうした様々な経験が紡ぎ合わされ、振付家、バレエ団監督を生業とすることになった経緯についてお話しします。

幼い頃、ウィスコンシン州ミルウォーキーで私が受けた数々の教育(様々な形式のグラフィックアートや、小さなバレエ学校でのレッスンなど)には、最初、何のつながりもありませんでした。しかし、こうした学習が、後に天職を追求する中、一見全く異なる芸術形式を一つに統合するうえで必要な知識と技術の確固たる基盤を与えてくれたのです。もともと私には、人間の置かれた状況を舞台の上で表現したいという本能的な衝動がありました。やがて、ミルウォーキーのマーケット大学で、英文学と演劇学を学ぶことになり、そこで教えを受けたイエズス会神父の指導により、私はこの特異な道を歩むことになりました。それは、絵を描く技術、文学的素養、精神的信念、ダンス技法が組み合わされた振り付けというもの、すなわち、時間と空間において人間の体の動きをデザインすることです。

最初の頃、バレエ・ダンサーとして研鑽に励む間は、私の創作への衝動は封印されていました。ところが、シュツットガルト・バレエ団でソリストになって間もなく、振り付けをしたいという気持ちを改めて認識したのです。ほどなくして、バレエ作品を創作することに加え、ドイツのフランクフルトで自らダンサーを率いて監督を務めるという思いがけないチャンスに恵まれたことにより、それまでの知識と経験を融合させた実験的試みが行えるようになりました。自分ならではのレパートリーを創造する自由を得たこと、また選りすぐりのダンサーたちを訓練し、身体の動きやデザイン、文学性、さらには人間のあり方に対する認識と個人的な憂慮関心を組み合わせることを通じて、独自の芸術哲学が育まれていきました。自分自身のバレエの出来如何ではなく、バレエ作品の創作が私にとって最大の関心事になりました。それは、内なる感情に呼び覚まされ、学んだテクニックを修練することで自然に創り出される身体の動きが、心の奥底に潜む感情を表出する瞬間なのです。構成された、すなわち「振り付けされた」人間の動きにおいて、肉体が精神に形を与え、それがその動きを目の当たりにした人々に伝わることで、観客は自らの内に分け持つもの―私たちに共通する人間性―を認識するのです。

ハンブルク・バレエ団での長年にわたる創作活動では、数々の教育、実験的試み、人生経験がさらに織り合わされ、絶えず発展してきました。人を感動させる肉体の動きを創り出すことによって、ダンスは人間の感情に生きたかたちを与え続けるのです。

【関連情報】
記念講演録全文(PDF)
ワークショップ
当受賞者のワークショップに関する情報はございません。
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