
ペロブスカイト太陽電池を世界に先駆けて提唱した
フィルム状に作られ、軽量かつ柔軟
動作寿命の延長や低コスト化など実用化の課題解決を主導する
人類の将来エネルギー構想に大きな影響を与え続けている
(PR企画:日経サイエンス、取材/執筆:吉川和輝)
ペロブスカイト太陽電池。この舌を噛みそうな名前のついた太陽電池への期待が日増しに高まっている。現在主流の結晶シリコンを材料にした太陽電池との違いは、薄く、軽く、曲げられるフィルム状に作ることができる点だ。それでいて発電性能はシリコン太陽電池と並ぶ水準。軽くて高性能の太陽電池を、建物の屋根や壁面など、従来設置が難しかった場所に設置して、発電の場を草の根的に広げていく未来が見え始めている。
第41回(2026)京都賞(先端技術部門)を受賞する宮坂力・桐蔭横浜大学大学院工学研究科特任教授がペロブスカイト太陽電池の生みの親だ。宮坂氏は神奈川県鎌倉市の生まれで、早稲田大学と東京大学大学院で化学を修めた。富士写真フイルム(現富士フイルム)に研究員として入社し、高感度フィルムやリチウム二次電池の開発などさまざまな分野の研究テーマに取り組んだ。桐蔭横浜大に移ったのは2001年、47歳の時だった。
9年前の2017年、宮坂氏は米科学情報企業クラリベイト・アナリティクスの「引用栄誉賞」(化学部門)に選ばれた。この賞は研究論文の被引用数などから研究の影響力を評価し、ノーベル賞候補と目される研究者を選ぶもの。「効率的なエネルギー変換を達成するためのペロブスカイト材料の発見と応用」が宮坂氏が選ばれた理由だった。
この時、宮坂氏は「私がこの材料に遭遇したのは発光特性を研究してきた大学院生が持ち込んだ研究課題がきっかけ」としたうえで「海外との共同研究が技術の芽を大きく開くチャンスにつながった」と語っている。
また2023年に上梓した自著では「ペロブスカイト太陽電池の発見の背景には、関わった人たちが何人もいて、そのうちの誰一人が欠けていても、たぶんペロブスカイト太陽電池は生まれていない」と記している。
研究者ネットワークの中心に
宮坂氏自身が語るように、この新型太陽電池は一人の研究者によって生み出されたものではない。しかし開発の歴史をたどると、その研究者ネットワークの中心には宮坂氏がいた。異なる知識や経験を持つ研究者をつなぐ、ハブのような役割を宮坂氏が果たしていたことが見えてくる。
ペロブスカイトとは1839年にロシア・ウラル山脈で発見された「灰チタン石」という酸化鉱物のことで、その名前はロシアの鉱物学者レフ・ペロフスキーにちなんで付けられた。この鉱物と同じ結晶構造を持つ物質を総称してペロブスカイトと呼ぶ。構成する元素の組み合わせによって様々な性質を持たせることができる。
中には半導体として働くものがあり、光が当たると電子と正孔(プラスの電荷)が生じる。現在のペロブスカイト太陽電池はペロブスカイト層を、電子を通す電子輸送層と、正孔を通す正孔輸送層でサンドイッチし、さらにその外側を電極層で挟んだ5層構造が基本になっている。
各層は印刷物のインクのように極めて薄く作ることができる。発電にかかわる薄膜を合わせた厚さは1000分の1ミリ程度と、食品用ラップフィルムの10分の1ほど。プラスチックフィルムの上に、塗るような工程で発電部を形成することができ、太陽電池全体の厚みの大部分を占めるのは土台となるフィルムの方だ。
ペラペラしたフィルム状に仕上げることができ、重さは従来のシリコン製太陽電池パネルの10分の1から20分の1程度。住宅や事業所の屋根に設置する場合も、耐荷重の制約を受けにくい。建物の緩やかなカーブに沿って貼り付けたり、柱に巻きつけたりといった、従来にない設置方法も可能になる。
「軽くて曲げられる太陽電池」はこれまでもあった。電気を流せる有機材料をフィルムに塗って作る「有機薄膜太陽電池」や、色素が光を吸収して電子を放出し、それを酸化チタンが受け取って電気を作る「色素増感太陽電池」がその代表だ。ただ、ペロブスカイト太陽電池には、これらに比べて発電効率が高いという決定的な強みがある。
ペロブスカイト太陽電池の更なる改良に心血を注ぐ(桐蔭横浜大学の研究室)
シリコンに迫る発電性能
有機薄膜太陽電池の発電効率が研究レベルで20%程度、色素増感太陽電池が15%程度なのに対して、ペロブスカイト太陽電池は28%に達している。シリコン太陽電池の最高記録は28.1%で、シリコン単接合セルの理論限界は29%台とされる。ペロブスカイト太陽電池の発電効率はシリコンと比べても遜色のない水準に達している。
2001年に桐蔭横浜大学の教授に着任した宮坂氏は、大学で取り組むテーマを二つ選んだ。一つは失われた視覚を人工的に再生させる「人工網膜」。もう一つが色素増感太陽電池。いずれも富士写真フイルム時代に手がけたテーマだった。
宮坂氏は東京大学大学院で、「本多―藤嶋効果」で知られる本多健一教授の指導を受け、光電気化学の研究に打ち込んだ。色素増感太陽電池の研究もこの延長線上にあった。
「せっかく富士『フイルム』で研究しているのだから(略)薄くてペラペラのフィルムが光発電するデバイスになったら面白いな、と思った」と宮坂氏は著書で当時を振り返っている。富士写真フイルムは結局、シリコン太陽電池との競争で優位性を引き出せないとして開発を中断したが、宮坂氏はこのテーマを新天地で花開かせたいと考えていた。
宮坂氏は大学着任3年後の2004年、大学関係者に勧められてベンチャー企業のペクセル・テクノロジーズを起業する。研究室で開発した実験装置や、色素増感用の材料などを販売する事業を、研究者との二足のわらじで始めたものだ。同社に集まった若手研究者は、宮坂研究室の事実上の別動隊として、ペロブスカイト太陽電池開発で重要な役割を後々果たすことになる。
2005年、ペクセル社長を務める宮坂氏が最初に公募採用したのが、筑波大学の技官だった池上和志氏(現桐蔭横浜大学教授)と、東京工芸大学の講師だった手島健次郎氏(現日本ゼオン)の2人だった。手島氏は国の研究プロジェクトで、ペロブスカイトを発光材料として研究していた。
ペロブスカイト太陽電池の社会実装は着実に進んでいる。千葉大学、積水ソーラーフィルムなどによる営農型太陽光発電の実証実験(2026年3月、千葉県柏市の千葉大柏の葉キャンパス)
ペロブスカイト携えた若者
当時、手島氏が東京工芸大で指導していた大学院修士課程の学生に小島陽広氏がいた。太陽光発電への関心が強かった小島氏は、工学部光工学科(当時)に進学したが、希望していた太陽電池の研究は終了していた。
代わって取り組んだのが、ペロブスカイトの発光特性を調べる研究だった。実験を続けるうち、この材料で発電ができるのではないかというアイデアが浮かんだ。色素増感太陽電池で光を吸収する色素の代わりに、ペロブスカイトを使おうというわけだ。
小島氏は、指導教官の手島氏が色素増感太陽電池の研究で有名な宮坂氏のもとに転出すると聞き、自分も宮坂氏のところで実験したいと申し出た。手島氏から話を聞いた宮坂氏は「ペロブスカイトについてはよく知らなかった」というが、小島氏を外部研究生として研究室に迎えることにした。
色素増感太陽電池は通常、色素を吸着させた半導体電極(酸化チタン)と液体の電解液が使われている。小島氏は酸化チタンの電極表面をペロブスカイトの微細な結晶で覆って実験を始めた。数カ月後、最初の成果が出た。発電効率は1%未満とわずかなものだったが、光を当てることで電流が流れることを確認したのだ。翌2006年に成果を学会発表した。
小島氏は修士課程でこの研究に区切りをつけたつもりだったが、2005年から東京大学の客員教授を兼務していた宮坂氏は、小島氏に東大の博士課程に進んで研究を続けるよう強く勧めた。小島氏は企業への就職が内定していたが、宮坂氏の説得に応じ、2007年に東大の博士課程に進み、ペロブスカイトの実験を続けた。
2年後の2009年4月、アメリカ化学会の学術誌「アメリカ化学会誌」に宮坂、小島氏らによる研究論文が掲載される。タイトルはOrganometal Halide Perovskites as Visible-Light Sensitizers for Photovoltaic Cells(太陽電池のための可視光増感剤としての有機金属ハライドペロブスカイト)。
この時作った発電セルは、酸化チタンの半導体電極と電解液を使う色素増感太陽電池の構造を引き継いだもので、光を吸収する色素の役割をペロブスカイトに担わせるという仕組みだった。ペロブスカイトの材料には鉛とヨウ素、または鉛と臭素を使った。小島氏が最初の実験を始めたころ1%に満たなかった光から電気への変換効率は、ヨウ素系ペロブスカイトの場合で3.8%に達していた。
企業時代にも研究した色素増感太陽電池が、ペロブスカイト太陽電池の発明につながった
「固体化」でブレークスルー
3年後の2012年、文字通りのブレークスルーが起きる。英オックスフォード大学と桐蔭横浜大学の共同研究から、変換効率10.9%の成果が生まれ、一挙に10%の大台を超えた。研究の中心となったのは、オックスフォード大のヘンリー・スネイス氏(現同大教授)と、桐蔭横浜大専任講師の村上拓郎氏(現産業技術総合研究所・ペロブスカイト太陽電池研究チーム長)だった。
桐蔭横浜大で博士課程を修めた村上氏は、宮坂氏の推薦で、色素増感太陽電池研究の権威であるスイス連邦工科大学ローザンヌ校のマイケル・グレッツェル教授の下に留学し、そこで博士研究員だったスネイス氏と出会った。二人は共同研究を進める中で、色素増感太陽電池を対象に試みていたセルの固体化技術を、ペロブスカイトを使った太陽電池にも応用しようと考えた。
酸化チタン―ペロブスカイト―液体電解質という構成のうち、液体電解質を「Spiro-OMeTAD」という固体の有機正孔輸送材料に置き換えた。すると予想外のことが起きた。固体型セルから電荷を取り出す速度を測ると、従来の色素増感太陽電池より格段に速いことがわかったのだ。
ひょっとしたらペロブスカイトは光を吸収するだけでなく、電荷を運んでいるのではないか――。こんな疑問が浮かんだ。そこでスネイス氏らは半導体電極の酸化チタンを絶縁体である酸化アルミニウムに交換してみた。それでも10%を超える変換効率を確認した。それまで色素に代わる増感剤と位置づけられていたペロブスカイトが、自ら電荷を運ぶ半導体発電層として使えることが判明した、大きな転機だった。成果は科学誌サイエンスに掲載された。
実は時間を少し巻き戻すと、宮坂氏と小島氏はこれより先、液体電解質を使わない固体型を試作し、2008年にハワイで行われた国際会議で発表していた。変換効率は1%未満だったが、宮坂氏は著書で「これこそ世界初の全固体化ペロブスカイト太陽電池」であると振り返っている。
一方、2012年前後には、韓国・成均館大学のパク・ナムギュ教授も、固体型ペロブスカイト太陽電池の研究に取り組んでいた。スネイス氏らと同じSpiro-OMeTADを使い、9.7%の変換効率を達成。スネイス、村上氏らに約1カ月半先駆けて論文発表している。ペロブスカイトは太陽電池の有望株として注目を集め、世界の研究者が参入することになる。
当時、桐蔭横浜大講師で、ペクセル・テクノロジーズ取締役を兼務していた池上和志氏は「2012年の論文が出る少し前、Spiro-OMeTADを供給していた独BASFの副社長がプライベートジェットで慌ただしく来日し、宮坂研究室を訪れてペロブスカイトの特許について調べていったこともあった」と、ペロブスカイト太陽電池が盛り上がり始めた当時を振り返る。
宮坂力博士(中央)を核とする幅広い研究者のネットワークが新たな太陽電池技術を大きく育てた。
右は池上和志・現桐蔭横浜大学教授(2007年)
国の成長戦略、追い風に
ペロブスカイト太陽電池の本格的な研究開始から約20年。政府が2026年7月にまとめた成長戦略の「戦略17分野」では、フュージョン(核融合)や次世代原発、洋上風力発電などとともに、次世代エネルギーを担う重要技術に位置付けられている。2040年までに原子力発電所約20基の発電容量に相当する20ギガワットを導入する計画だ。
政府の期待が高い理由の一つが、主要原料を国内で調達できることだ。主要な材料はヨウ素と鉛。日本は世界第二のヨウ素の生産国であり、鉛は廃車バッテリーなどからの回収・再利用の仕組みが出来上がっている。海外依存度の高い太陽光発電の分野で、国内にサプライチェーンを構築できる可能性がある。
ただ期待が大きい分、実用化に向けたプレッシャーも並大抵ではない。大面積の製造技術は、産業界の取り組みを通じて実用化に近づいている半面、シリコン太陽電池に対抗できる水準まで製造コストを下げることや、長く使うための耐久性能など、課題は少なくない。研究と産業連携の両面で最前線を奔走する宮坂氏。そのネットワーク力が試される舞台は、研究室から社会実装の現場へと広がっている。
最後までお読みくださりありがとうございます!
今後の参考にするため、ぜひご感想をお聞かせください。(所要時間:約30秒・匿名)
海の生き物の多数派は肉眼では見えない微生物たち
この海洋微生物こそが海洋における炭素循環の重要な担い手であることを解明
その影響は海洋生態学だけでなく大気を含めた地球化学に及ぶ
身体と声と電子テクノロジーを混ぜ
音楽や美術、映像の壁を越え
新しいパフォーマンスアートを体現した。
21世紀、生成AIがメディアとアートを侵食する今、
あらゆる領域を自由に行き来する
最強の表現を実践するローリーの
アプローチは改めて最先端だ