Azim Surani
第40回(2025)受賞
生命科学及び医学(分子生物学・細胞生物学・システム生物学等)
/ 発生生物学者
1945-
ケンブリッジ大学 ガードン研究所 研究ディレクター
哺乳類の正常な発生には父親および母親由来両性のゲノムが必須なことを示した上で、それぞれに特異的な修飾と相補的な機能を付与するゲノムインプリンティングを発見した。加えて、作動機序の解明も先導し続け、生命科学の広範な分野にわたる基盤的知見の形成に貢献した。
アジム・スラーニは、哺乳類において、雄性および雌性生殖細胞の発生過程で、それぞれのゲノムが異なる「刷り込み」(インプリント)を受け、それらゲノムが、胚発生において相補的な機能を担うことを証明した。ゲノムインプリンティングは、メンデルの遺伝学に新たな概念を付与する生命科学の基本原理で、その発見は、発生学やエピジェネティックスのみならず、生理学、再生医学、生殖医学、植物科学を含む広範な生命科学分野における先駆的かつ基盤的な貢献である。
ヒトを含む二倍体生物のゲノム上の各遺伝子は、父親由来と母親由来の1対のアレル(allele: 対立遺伝子)として存在しているが、基本的なメンデル遺伝学では、ある遺伝子が雄性(父方)、雌性(母方)どちらのアレルであろうとその機能は相同とされる。スラーニは、マウス受精卵に形成される雄性および雌性前核を取り出して入れ替える「前核移植技術」を開発した研究者の一人であり、1) マウスの正常発生には、雄性および雌性ゲノムが1組ずつ存在することが必須であること、2) 雄性ゲノムを2組有する胚は、胚体外組織の発生は比較的良好であるものの、胚発生が不良で致死となること、3) 雌性ゲノムを2組有する胚は、胚発生は比較的良好であるものの、胚体外組織の発生が不良で致死となること、を発見した(1–3)。スラーニは、この発見および続く研究に基づき、雄性および雌性ゲノムが、それぞれの生殖細胞発生過程において特異的な修飾を受け、それがそれぞれのゲノムに相補的な機能を付与するとする、ゲノムインプリンティング仮説を提唱した(2–5)。
これら一連の成果は、遺伝学の常識であったアレル間における機能相同性の概念を覆す画期的な成果であり、その結果として、多くの生命科学研究者のこの分野への参入を促した。その後の研究で、ヒトを含む哺乳類のゲノムには200に及ぶインプリント遺伝子(全遺伝子の約1%)が染色体上にクラスターを形成して存在すること、それらの発現はインプリント制御領域と呼ばれる領域のDNAメチル化により制御されること、生殖細胞の発生過程でインプリント制御領域に雌雄特異的なDNAメチル化が付与されることが証明されたが、これらの研究においても、スラーニは先駆的貢献を果たした(6–10)。
ゲノムインプリンティングの発見とその作動機序の解明は、「DNA配列の変化を伴わず、遺伝子機能の変化が遺伝する仕組み」を研究するエピジェネティックスの黎明と隆盛に特段の貢献を果たした。インプリント遺伝子は、発生、成長、代謝、行動(11, 12)など広範な生命現象に関与し、その制御異常はさまざまな疾病につながる。またゲノムインプリンティングの正しい制御は多能性幹細胞やその分化産物、ヒト培養胚の品質評価に重要な指標を提示する。さらに、被子植物においても、胚乳の発生にゲノムインプリンティングが関与し、インプリント遺伝子が胚乳の発生を正負に制御することで、種子形成が制御されることが示された。
このように、スラーニによるゲノムインプリンティングの発見および分子機構の解明は、現代の生命科学の広範な分野の基盤を形成する先駆的業績で、生命科学の発展に大きく貢献したと結論される。
参考文献
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プロフィールは受賞時のものです