2016年思想・芸術部門思想・倫理
マーサ・クレイヴン・ヌスバウム 写真

マーサ・クレイヴン・ヌスバウム
(Martha Craven Nussbaum)

  • アメリカ / 1947年5月6日
  • 哲学者
  • シカゴ大学 エルンスト・フロインド法学・倫理学特別功労教授

ケイパビリティ・アプローチによる正義論の深化とその実践

正義の基準に、合理的な諸個人間の社会契約に基づく平等にとどまらず、人が「何かになる・何かをする」潜勢能力(ケイパビリティ)を十全に開花させることを導入し、社会においてそれらが疎外されている弱者へのまなざしを備えた独自の正義論を提唱、社会的実践に開かれた議論を展開している。

プロフィール

略歴

1947年
米国ニューヨーク生まれ
1975年
ハーバード大学 博士(西洋古典文献学)
1980年-1983年
ハーバード大学 哲学・古典学准教授
1984年-1985年
ブラウン大学 哲学・古典学准教授
1985年-1989年
ブラウン大学 哲学・古典学・比較文学教授
1987年-1993年
国連大学 世界開発経済研究所 リサーチ・アドバイザー
1989年-1995年
ブラウン大学 ユニバーシティ・プロフェッサーおよび哲学・古典学・比較文学教授
1995年-1996年
シカゴ大学 法学・倫理学教授
1996年-1998年
シカゴ大学 エルンスト・フロインド法学・倫理学教授
1999年-
シカゴ大学 エルンスト・フロインド法学・倫理学特別功労教授

主な受賞と栄誉

2012年
アストゥリアス皇太子賞
2012年
フィンランド白薔薇勲章(ファーストクラス・ナイト)
会員:
米国芸術科学アカデミー

主な著作

1986年

The Fragility of Goodness: Luck and Ethics in Greek Tragedy and Philosophy, Cambridge University Press, 1986.

2000年

Women and Human Development: The Capabilities Approach, Cambridge University Press, 2000.(『女性と人間開発:潜在能力アプローチ』池本幸生・田口さつき・坪井ひろみ訳 岩波書店 2005)

2001年

Upheavals of Thought: The Intelligence of Emotions, Cambridge University Press, 2001.

2004年

Hiding from Humanity: Disgust, Shame, and the Law, Princeton University Press, 2004.(『感情と法:現代アメリカ社会の政治的リベラリズム』河野哲也監訳 慶應義塾大学出版会 2010)

2006年

Frontiers of Justice: Disability, Nationality, Species Membership, Harvard University Press, 2006.(『正義のフロンティア:障碍者・外国人・動物という境界を越えて』 神島裕子訳 法政大学出版局 2012)

2013年

Political Emotions: Why Love Matters for Justice, Harvard University Press, 2013.

2016年

Anger and Forgiveness: Resentment, Generosity, Justice, Oxford University Press, 2016.

贈賞理由

ケイパビリティ・アプローチによる正義論の深化とその実践

マーサ・クレイヴン・ヌスバウム博士は、現代における正義論、法理論、教育論、フェミニズム、発展途上国への開発援助といった広範な領域で主導的な議論を展開してきた哲学者である。博士は、錯綜する現代の世界状況の中で、価値や感情の対立を含みながらも、他者と共に善き生を実現しうる倫理を提示しようと努力してきた。

ヌスバウム博士の仕事の中でも特に有名なのが、人間におけるケイパビリティ(capability:潜勢能力)の開花をめぐる理論である。これは、経済学者アマルティア・セン博士との長年にわたる共同研究の成果をさらに独自に展開したもので、ヌスバウム博士は、各人が「何かになったり何かをしたりする」可能性としてのケイパビリティを拡げ、十分に開花させることを、政治が実現すべき正義の基準であると提唱した。たとえば貧困問題も単なる財の欠如ではなく、ケイパビリティの発展が閉ざされていることと捉え直し、そうした角度から、具体的な福祉政策や発展途上国への開発援助を論じてきた。

ヌスバウム博士は、健康や身体の不可侵性のみならず、自由な想像力、批判的な思考、他者や他の生きものに対する濃やかな気遣いなどを個人のケイパビリティとしてリストアップする。そのリストは、ジェンダーの平等や児童福祉の政策に関する議論と人間開発の評価の基軸として活用され、さらには人権学習における教材として各国で使用されている。博士はまた、民主主義の基礎となるリベラル・エデュケーションと、異なる文化への想像力を陶冶しそれらとの共存を模索する多文化主義教育の必要を強く唱え、インドをはじめとして文化的背景を異にする人々とのきめ細かな論議をも数多く試みてきた。

ヌスバウム博士はまた、法の感情的な起源についての研究、とりわけ怒りや嫌悪、羞恥などのネガティブな感情の本性が犯罪やそれに対する制裁といかに結びついているかの分析を重ね、刑罰政策や立法論にも影響を与えてきた。こうした研究は、「異なる者」への排撃が日々昂進しつつある現代世界において、その根源的問題性を摘出し、解決に向けた新たな指針を示すという実践的な意義をもつものである。

このように、ヌスバウム博士は、善き社会を実現するための社会哲学・倫理学の探究と、それに基づくさまざまの社会的実践への提言とを通じて、劣化しつつある公共領域の再構築と、人類諸文化の共存・交響への道を、現在もなお強い使命感をもって探究し続けている。

以上の理由によって、マーサ・クレイヴン・ヌスバウム博士に思想・芸術部門における第32回(2016)京都賞を贈呈する。

記念講演

記念講演要旨

人間的であろうとする哲学

プラトンの有名な著作『国家』の序盤で、登場人物たちが正義をどのように定義するか論争する場面があります。そこでソクラテスは論争相手に次のことを思い起こさせようとして、こう言います。「われわれが議論しているのはつまらぬことについてではない。人はいかに生きるべきかということについてなのだ」。政治哲学というものは、西洋の伝統の中で実践されてきたそれ、また私には乏しい知識しかありませんが、非西洋の伝統の中で実践されてきたそれにしても、常に実践的な学問分野であり続けてきました。その目指すところは、分断と競争、制御できない破局に満ち溢れた世界において、人が正しくまっとうに生きていくための青写真を描き出すことにありました。今後も哲学は、よりよい世界のために私たちが協働するうえで重要な役割を果たし続け、人間にとって切迫した問題に関する価値のある哲学的仕事のための基準を明確にしていくことでしょう。そのように考えられるいくつかの理由を、本講演で示したいと思います。

第一に、われわれが哲学を必要とするのはなぜでしょうか。本講演ではまず、哲学が提供できるたぐいの洞察の一例として、過去30年間における、開発経済学に対する哲学的仕事の貢献に焦点を当てたいと思います。

第二に、どのような哲学が必要とされるのでしょうか?ここで私はいくつかの基準を提案しようと思います。人間性の発展に役立つために、哲学は以下のようでなければなりません。

1.議論において厳密であり、提示において明瞭であり、いかなる批判にも開かれていること。

2.他の学問分野、特に歴史学と経済学の貢献に敬意を払うこと。

3.世界のほとんどの人々が宗教的信念に沿って生活をしているという事実、そしてそれは人間の生の一要素であって軽蔑されるべきことではないという事実に敬意を払うこと。これは過去の諸哲学において非常によく見られる姿勢です。

4.世界の多くの哲学的伝統に好奇心と敬意を抱き、異文化間の哲学的対話の実現に関心を抱くこと。

5.人間心理の複合性を含め、正義の探究における資源と障害の両方をもたらす支離滅裂さと複合性の真っただ中にあるリアルな人間の生に関心を持つこと。

ワークショップ

ワークショップ

感情とコスモポリタニズム

Emotions and Cosmopolitanism

日時
2016年11月12日(土)14:00~17:30
場所
国立京都国際会館
企画・司会
河野 哲也 [立教大学 教授]
主催
公益財団法人 稲盛財団
後援
京都府、京都市、NHK
協賛
政治思想学会、日本現象学会、日本宗教学会、日本政治学会、日本哲学会、日本倫理学会、比較思想学会(五十音順)

プログラム

14:00
開会挨拶 鷲田 清一 [京都市立芸術大学 理事長・学長]
14:05
受賞者紹介・趣旨説明 河野 哲也
14:20
受賞者講演 マーサ・クレイヴン・ヌスバウム [思想・芸術部門 受賞者]
「偏見、スティグマ、差別:排除と闘う政治と法のあり方」
15:20
休憩
15:30
講演 神島 裕子 [立命館大学 教授]
「公共文化におけるジェンダー 私達の恐怖心を取り除く責務は誰のものか」
15:50
講演 稲原 美苗 [神戸大学 准教授]
「障害とスティグマ―嫌悪感から人間愛へ―」
16:10
講演 河野 哲也
「コスモポリタンな感情」
16:30
休憩
16:40
討論・質疑応答
17:30
閉会
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