1993年思想・芸術部門音楽
ヴィトルト・ルトスワフスキ 写真

ヴィトルト・ルトスワフスキ
(Witold Lutoslawski)

  • ポーランド / 1913年-1994年
  • 作曲家

東欧民族音楽の知見をもとに偶然性も取り入れた無調音楽の新しい可能性を切り拓いた作曲家

《葬送音楽》や《交響曲二番》などの代表作を通じ、新しい無調性音楽の手法と、独自の「偶然性」の手法を導入するなど、現代的な音楽表現の手法を開発することによって、20世紀音楽の巨匠として、第二次大戦後の音楽界に大きな影響を与えた現代ヨーロッパを代表する作曲家である。
[受賞当時の部門: 精神科学・表現芸術部門]

プロフィール

略歴

1913年
ワルシャワで生まれる
1937年
ワルシャワ音楽院卒業(ピアノと作曲のディプロマ取得、ピアノの師はイェジ・レフェルト、 作曲の師はヴィトルト・マリシェフスキ)
1956年
「ワルシャワの秋」音楽祭の企画委員会委員
1959年
ISCM(国際現代音楽協会)のポーランド支部委員
1963年
国外での国際的な音楽活動に従事しはじめる
1973年
ポーランド作曲家協会 副理事長

主な受賞と栄誉

1959年,1973年
ポーランド作曲家協会賞
1959年,1964年,1968年
ユネスコ作曲賞(第1位)
1964年
クーセヴィッキー賞
1971年
ラヴェル賞
1973年
シベリウス賞
1985年
スペイン・ソフィア女王 フェッラー・サラト賞
1992年
国際音楽協会年間最優秀音楽家賞

主な論文・著書

1954年

『管弦楽のための協奏曲』

1958年

『葬送音楽』

1961年

『ヴェネチアの遊戯』

1963年

『アンリ・ミショーの三つの詩』

1967年

『交響曲第二番』

1970年

『チェロ協奏曲』

贈賞理由

東欧民族音楽の知見をもとに偶然性も取り入れた無調音楽の新しい可能性を切り拓いた作曲家

ヴィトルト・ルトスワフスキ氏は、新しい無調音楽の手法と、独自の「偶然性」の手法を導入するなど、現代的な音楽の表現方法をとり入れることによって、20世紀音楽の巨匠として、第二次大戦後の音楽界に大きな影響を与えた現代ヨーロッパを代表する作曲家である。

ルトスワフスキ氏は、祖国ポーランドにふりかかった厳しい状況の中で、音楽家としての感性を磨くとともに、自国の民族音楽を深く研究し、新しい音楽表現の方法を探求してきた。

ルトスワフスキ氏の作風は、新古典主義から始まるが、1941年の《パガニーニの主題による変奏曲》が初期の代表作である。1954年の《管弦楽のための協奏曲》は、調性にとらわれない、いわば「無調性の対位法」ともいうべき新しい語法を駆使し、民謡に動機を得ながら、民謡の次元からはるかに独自の境地に達している。

1956年の「雪解け」が契機になり、決定的な転機を刻んだのは、1958年の《葬送音楽》であった。一見12音音列に基づいているようで必ずしもそうでなく、独特の音程関係と和音で組み立てられており、曲全体の構造が実にみごとな均斉をみせている。また1961年の《ヴェネチアの遊戯》では、「コントロールされた偶然性」を導入し、この手法により、音の混乱が生ずるよりも、むしろ積極的な意味性が曲に宿される結果となった。

ルトスワフスキ氏はその後も《交響曲第2番》(1967)、《チェロ協奏曲》(1970)や、1980年代の《連鎖(チェーン)》シリーズなどの代表作を発表し続けて、時代的精神に対応しながら、積極的に新しい音楽表現の可能性を追及してきた。その音楽手法の先進性と深い精神性との共存のバランスは、聴衆に素晴らしい感銘を与えるとともに、音楽の新しい可能性を幅広く示すことによって、現代音楽家のよき指標ともなっている。

1960年代より現在まで世界各地で活躍を続けてきたヴィトルト・ルトスワフスキ氏は、ヨーロッパはもとより世界を代表する20世紀の作曲家として第9回京都賞精神科学・表現芸術部門の受賞者に最も相応しい。

記念講演

記念講演要旨

私の人生と音楽

主催者の方々のご希望にお応えして、私の人生と仕事についてお話します。

私は地主の家に1913年1月25日に生まれました。1915年に家族はロシアへ移り、そこで父はボルシェビキ派に処刑され、1918年に私たちはポーランドに戻りました。

私は6歳からピアノのレッスンを始めました。11歳の時シマノフスキの第三交響曲を聞きましたが、それはまさに啓示でした。14歳でリムスキー・コルサコフの弟子であったヴィトルト・マリゼフスキのもとで作曲の勉強を始めました。マリゼフスキは、私が軍での任務を終えた後にやっと完成した交響変奏曲を、「現代的すぎる」として認めませんでした。ワルシャワ音楽院では、ピアノ(1936年)と作曲(1937年)の修了証書を取得しました。1939年に私は軍のラジオ局で指揮官として戦役に就きました。ドイツによる占領期間(1939年から1945年まで)は、いくつかのカフェで演奏しながら、ワルシャワで過ごしました。1945年にソビエト軍がポーランドに侵入し、ポーランドは40年以上も彼らの支配下におかれました。

1948年、私の第一交響曲の初めての演奏が行われました。私は、いくつかの「機能音楽」(学校やラジオのための)も作曲しました。それは、荒廃した文化生活に対する強いニーズに応えるためでした。私は「音言語」のための作業も開始しました。1949年から1955年までの間は、伝統的な音楽のみが演奏された極めて失望させられる日々でしたが、1956年からは現代音楽フェスティバルが毎年開催されることになりました。英国で私の出版を許可されたのは、なんと1966年になってからで、私の作品が国外で演奏され知られるようになったのは、それから後のことでした。1963年のヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアでのコンサートにおいて、公の場で初めて自分の作品の指揮が出来るようになりました。

講演の中では、まだオペラを作曲したことがない理由を説明したいと思います。また、自分が誰のために作曲をするのかという大切な問題についても論じます。これは、創造的な芸術家の倫理に関することです。創造的な芸術家の作品は、彼らが信ずるもの、彼らの芸術的な信念の真の表現と両立するものでなければなりません。「理想的な世界」が創造的な芸術家の作品の目的です。ヨーロッパの中でも私たちの地域における政治的な変化は、私の人生と心に多大な影響を与えています。

【関連情報】
記念講演録(PDF)
ワークショップ

ワークショップ

ルトスワフスキ イン 京都

Lutoslawski in Kyoto

日時
1993年11月12日(金)13:00~17:30
場所
国立京都国際会館
企画
武田 明倫 精神科学・表現芸術部門専門委員会委員、武蔵野音楽大学教授

プログラム

13:20
開会 武田 明倫
13:25
挨拶 稲盛 豊実 稲盛財団常務理事
13:30
業績紹介 武田 明倫
13:40
記念講演 ヴィトルト・ルトスワフスキ 精神科学・表現芸術部門受賞者
「音言語」
14:40
講演 田村 進 東京音楽大学教授
「ポーランドの作曲界とルトスワフスキ」
15:10
休憩
15:30
シンポジウム 司会:丹波 正明 精神科学・表現芸術部門専門委員会委員、音楽評論家
出演:
秋山 邦晴 精神科学・表現芸術部門審査委員会委員、多摩美術大学教授
佐野 光司 桐朋学園大学教授
船山 隆 精神科学・表現芸術部門専門委員会委員、東京芸術大学教授
松平 朗 昭和女子大学教授
16:30
演奏 《パガニーニの主題による変奏曲》
一柳 慧P. 精神科学・表現芸術部門専門委員会委員
木村 かをりP.
《弦楽四重奏曲》
岸邊百 百雄 弦楽四重奏団
岸邊百 百雄Vn. 田淵 洋子Vn. 時村 美影Va. 高橋 宏明Vc.
《パルティータ》
岸邊百 百雄Vn. 阿部 裕之P.
17:25
閉会
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