1990年思想・芸術部門美術(絵画・彫刻・工芸・建築・写真・デザイン等)
レンゾ・ピアノ 写真

レンゾ・ピアノ
(Renzo Piano)

  • イタリア / 1937年9月14日
  • 建築家

建築技術を美的に高めることにより建築の新しい可能性を開拓した建築家

現代のハイテク建築の旗手のひとりとして、高度に工業化された部材による建築表現を追究し、パリのポンピドゥ・センターなど多くの作品を通じて、多様化した建築理念の混乱の中にあって、一貫して技術をヒューマンな表現に高め、新しい可能性を切り拓いた。現代建築家の中で、最も注目すべき作品を作り続け、今後の建築のあり方に大きな示唆を与えている。
[受賞当時の部門 / 対象分野: 精神科学・表現芸術部門 / 美術―造形芸術(絵画・彫刻・建築)]

プロフィール

略歴

1937年
イタリア、ジェノヴァに生まれる
1964年
ミラノ工科大学の建築学科を卒業
1962
フランコ・アルビニのもとでデザインの手ほどきを受ける
1965
フィラデルフィアのルイス・カーン、ロンドンのZ・S・マコウスキーのもとで働く
1971
リチャード・ロジャースと共同
1980年
ヒューストンでリチャード・フィッツジェラルドと共同、また、ジェノヴァで石田俊二と共同

主な受賞と栄誉

1978年
メキシコシティ、国際建築家連盟賞
1984年
芸術勲章 コマンドール
1985年
レジオン・ドヌール勲章
1988年
関西国際空港コンペ 最優秀賞
1989年
英国王立建築家協会(RIBA)ロイヤル・ゴールド・メダル
1989年
アメリカ建築家協会(AIA)名誉会員
1989年
英国王立建築家協会(RIBA)名誉会員

主な作品

1971-1978年

フランス・パリ ポンピドゥ・センター

1978-1980年

イタリア・トリノ フィアット社 カーデザイン

1981-1986年

アメリカ・ヒューストン メニル・コレクション美術館

1982-1984年

ヨーロッパ IBM移動展パヴィリオン

贈賞理由

建築技術を美的に高めることにより建築の新しい可能性を開拓した建築家

レンゾ・ピアノ氏は、近代建築の機能主義的な分析と機能の表現の延長上にありながら、古典的な全体表現を抜け出し、20世紀末から21世紀に向かっての建築に新しい可能性を切り拓いた。ピアノ氏は現代のハイテク建築の旗手のひとりであるが、彼の建築の特徴は理詰めの機械的建築にあるのではなく、技術の表現を軽快な美的感動をさそう形態にまで高めるところにある。

近代建築の成立を1920年代から1930年代に認めることは定説となっているが、そこで確立された建築理念が定着し、現実の社会の中で本格的に建築されるようになるのは1950年代から60年代のことである。レンゾ・ピアノ氏はそうした近代建築実現の時代のさらに後に登場した世代に属しており、多様化した建築理念の混乱の中にあって、一貫して技術をヒューマンな表現に高めた建築を追求してきた。

Architecture(建築)とは、ARCHI(原型)とTECHNE(技術)が結合した言葉であり、テクネ、テクニック、テクノロジーと、時代とともに広義の技術が変化してはきたが、レンゾ・ピアノ氏はその根源に遡及して技術と建築の関係を再考するところから出発し、テクノロジーの独走に任せたりはせず、その術(テクネ)を扱う建築家として、ルネサンス以来のイタリアの伝統を踏まえた、細部の判断を下している。彼の軌跡は建築の可変性を最大限に作品中に取り込もうとするものであり、それは今後の建築の在り方に大きな示唆を与えるものである。

ピアノ氏は、パリ・ポンピドゥ・センター、IBM移動展パヴィリオン、米国ヒューストンのメニル・コレクション美術館などの設計者として知られているが、このほかにも自然との調和や文化を中心テーマに取り入れた地域再生プロジェクトでの設計でも高い評価を得ている。

現代に建築家は数多い中で、ピアノ氏の建築は、すでに20世紀後半の建築史上にはっきりと足跡を印している。今日においても最も人間的と呼びうる注目すべき建築をつくり続けているピアノ氏は、以上のような業績に照らして、京都賞、精神科学・表現芸術部門の受賞者として最もふさわしいといえる。

記念講演

記念講演要旨

経験としての建築-芸術と科学の境界から

私の仕事の歴史と哲学は完全に一致しており、それは私の人生の物語の中の、単純で直線的な結果であり、ここでそれについて少し述べてみたいと思う。

私は、何代にもわたって建築業を営んできた家系に生まれた。この仕事についた最初の頃は、私は「建築」ではなく、「建築」の部分を理解することに費やした。そして1964年から1970年にかけて得た経験から、私は細かいディテールに注意を払うことを覚え、職人の気質や忍耐を要するこの仕事に愛着を感じるようになり、また、言葉と行動、つまり頭と手を同時に働かせる習慣をすっかり身につけることができた。

そして、1971年から1977年の間に、パリのボーブール・センターで、リチャード・ロジャース、ピーター・ライス、トム・バーカー、イシダ・シュンジ、オカベ・ノリアキらとともに、最高の共同作業を行うことができ、この二人の日本人建築家とはその時以来の友人である。これが、「ピース・バイ・ピース」の建築の経験の最後となり、そして、それに注がれた決意と職業上の進歩両面において、それは最も真剣な仕事であった。

この後、1978年から1982年にかけて反動があった。大きなプロジェクトに対する疲労感と、自分の力を別の、人間と社会との交流という、すばらしい世界に対して試みたいという願望とを持つようになったのである。この間、幸いにもUNESCOのプロジェクトに数多く参加することができ、これらの経験から人の話を聞くということ(そして目的と手段とを間違えないこと)について多くを学ぶことができた。私は謙虚であることを覚え、個人的な栄光というものに対して控え目になり、静かな創造性の良さを知ったのである。

最後に、1983年から現在までは、過去に学んできたことを混ぜ合わせるということを楽しんで来た。つまり、私は、科学知識の世界と私が色濃く受け継いでいる根深いイタリアの伝統に沿った人文的・社会的文化の世界の融合、洗練された職人の作品の精密ではあるが時として素朴な組み合わせ、また、モジュールによる部分ごとの方法でありながらひとつのものに溶け合った、即ち、歴史や自然のもつ背景との調和を求めた一個の 有機体といしてあるもの、こうしたものとの混合である。同時に私は、技術と自然との不安定な分断を埋め合わせるべく努めてきた。つまり、私は、現在の混迷した科学と技術の世界に文化を浸透させ、それを止揚することができるような、建築という“言語”を、模索し、研究しているのである。

IBMのための巡回展覧会、ヒューストンでのメニル・ コレクション、チューリンでの カルダー展、パリのシュルムベルジェ工場の修復、ビチェンツアのロワラ本社、ラヴェンナのスポーツ・ホール、チューリンのフィアット・リンゴット工場の修復、ローデスの古代壁、等々。

建築に関する私の哲学が何であるか、私には分からない。私が興味あることは、「建築を作ること」である。私は道徳主義者でもなければ、ピューリタンでもなく、ましてやボーイスカウト精神の持ち主でもない。

そして幸いなことに、私は後世に伝えるべきスタイルというものを持たない。私にあるのは、おそらく、建築のメチェ(職業)に没頭する姿勢だけであろう(もっとも、これは古くからあるものだとおもっているが)。

【関連情報】
記念講演録(PDF)
ワークショップ

ワークショップ

「都市の文化としての建築」

Culture, City, and Architecture

日時
1990年10月25日(木)13:00 - 17:30
場所
国立京都国際会館

プログラム

13:20
挨拶 稲盛 和夫 稲盛財団理事長
13:25
座長挨拶/ 業績紹介 鈴木 博之 精神科学・表現芸術部門専門委員会委員、東京大学工学部助教授
13:35
講演 レンゾ・ピアノ 精神科学・表現芸術部門受賞者
「関西国際空港プロジェクト-建築を創るプロセスを語る-」
14:10
講演 伊東 豊雄 精神科学・表現芸術部門専門委員会委員、建築家
「流れのなかの建築」
14:40
講演 鈴木 隆之 京都精華大学講師
「風景に関するプログラムの変更」
15:10
休憩
15:25
パネルディスカッション
17:10
総括 木村 重信 精神科学・表現芸術部門専門委員会委員、大阪大学名誉教授
17:30
閉会
PAGETOP