2007年思想・芸術部門映画・演劇
ピナ・バウシュ 写真

ピナ・バウシュ
(Pina Bausch)

  • ドイツ / 1940年-2009年
  • 振付家・演出家

舞踊と演劇の境界線を打破し、舞台芸術の新たな方向性を示した振付家

人間の動きの根源的な動機を追及した独自の振付法で、演者と観客双方の感性に肉迫する独創的な作風を確立すると同時に舞踊と演劇の境界線を打破し、舞台芸術に新たな方向性を与えた。

プロフィール

略歴

1940年
ドイツ・ゾーリンゲン市に生まれる
1955年
エッセン市フォルクバンク・シューレに入学し、クルト・ヨースのもとで舞踊を学ぶ
1959年
DAAD(ドイツ学術交流会)の奨学生としてニューヨーク・ジュリアード音楽院ダンスコースに留学。その傍らアントニー・チューダーの指揮するメトロポリタン・オペラのダンサーを務める
1962年
ヨースが結成したフォルクバンク・バレエに入団のため帰国
1969年
「Im Wind der Zeit」がケルン・国際振付コンクールで1位入賞
1973年
ヴッパタール舞踊団の芸術監督・振付家に就任
1983年
フォルクヴァンク大学舞踊学科長
1983年
フォルクヴァンク・タンツシュテューディオ芸術監督

主な受賞と栄誉

1990年
国際演劇協会(ITI)ドイツ・センター賞
1991年
芸術文学功労賞(フランス)、ダンス功労賞(イタリア)
1993年
UNESCOピカソ賞
1998年
ハリー・エドモンズ賞(アメリカ)
1999年
ヨーロッパ演劇賞(欧州)、高松宮殿下記念世界文化賞
2006年
ローレンス・オリヴィエ賞(イギリス)

主な作品

1968年

フラグメント(初振付作品)

1975年

春の祭典

1976年

七つの大罪/怖がらないで

1978年

カフェ・ミュラー コンタクトホーフ

1982年

カーネーション

1985年

ヴェニス・フェニーチェ劇場がピナ・バウシュのフェスティバルを開催し、10作品をイタリアの聴衆に紹介する

1986年

ヴィクトール

1993年

船と共に

1994年

ヴッパタール舞踊団20周年記念公演、13作品が上演される

1997年

フェンスタープッツァー

2003年

ネフェス

2006年

フォルモント

贈賞理由

舞踊と演劇の境界線を打破し、舞台芸術の新たな方向性を示した振付家

ピナ・バウシュ氏は、人間の動きの根源的な動機を追及した独自の振付法で、演者と観客双方の感性に肉迫する独創的な作風を確立すると同時に、舞踊と演劇の境界線を打破し、舞台芸術に新たな方向性を与えた振付・演出家である。

1973年以来ヴッパタール舞踊演劇団の芸術監督として、世界的な活動を続けているバウシュ氏は、その初期、ドイツ表現主義舞踊の、社会と個人の現実を追及するスタイルを継承しつつ、モダンダンスの新しい身体・舞台表現を融合していった。この時期の代表作、1975年の『春の祭典』で彼女は、「豊穣を願うため犠牲として選ばれた女性が死に至るまで踊り続ける」というストラヴィンスキーのコンセプトを忠実に再現し、全体と個人、残虐性と麻痺、陶酔と恐怖などのテーマを鮮烈に描き出してみせた。

更にバウシュ氏は、人間の内面から沸き上がって肉体を突き動かす力を追求し、動きの意味や理由を重視する独自の演劇的手法を確立した。1976年以降の『カフェ・ミュラー』、『コンタクトホーフ』等に観られるように、作品には言葉、歌、日常の仕草さえもが意味を持つ動きとして取り入れられている。土や水、植物や動物など、自然の産物を大胆に取り入れた舞台美術とも相まって、バウシュ氏は舞踊演劇の創始者として広く認知されるに至った。1986年ローマに滞在して創作した『ヴィクトール』を皮切りに、バウシュ氏は様々な国の都市で「国際共同制作」を開始し、異なる文化、価値観などとの接触を作品に反映させ続けている。

バウシュ氏の作品の主なテーマは、孤独や疎外、男女間の葛藤、個人と社会の対立、自然と人間の関係などであり、それらは現代に生きる人々の普遍的かつ切実な問題に他ならない。ダンサーたちとの1ヶ月にもわたる綿密な対話から作り上げられる作品は、見る者の記憶や感性を直接に刺激し、従来の舞踊作品とは別格といえるほどの激しい反応を引き起こす。既成の世界観は崩壊し、観客は新たな現実と真実の認識を迫られるのである。舞踊と演劇の境界線を打破したバウシュ氏は、舞踊に、社会と時代を映し出すメディアとしての新たな可能性を示し、更にその結果、舞踊のみならず、舞台芸術全般に新たな活力を与えた。

以上の理由によって、ピナ・バウシュ氏に思想・芸術部門における第23回(2007)京都賞を贈呈する。

記念講演

記念講演要旨

私を突き動かすもの

私は、とても個人的な、多くの小さな経験と出来事に満ちた私の人生についてお話したいと思います。私は1940年ゾーリンゲンに生まれました。子供時代は戦争という運命に定められた時代でした。空爆、防空壕への避難、あらゆる生き残りのための戦いの時代でした。

私の両親は小さなホテルとレストランを経営していました。近くの劇場の歌手が数名、お客にいて、私の器用な体の動きや、楽しそうに動きまわる様子を見ていた彼らは、ある日、私を児童バレエ団に連れていったのです。そのとき私はすぐに感じました。「私はこれがしたい、これこそ私の表現の仕方、私の言葉だわ。私はダンサーになりたい」と。

14歳のとき私はダンスの勉強のため、エッセンに行き、フォルクヴァンク・シューレに入学しました。ここの特徴で、大変素晴らしかったことは、一つ屋根の下に表現芸術(パフォーミング・アーツ)と美術(ファイン・アーツ)の両方が教えられていたことです。つまり、音楽、オペラ、演劇、ダンスが、絵画、彫刻、写真、デザインなどと一緒に教えられていました。ですから、他から何かを学び、経験し、全てがお互いに、自然に良い影響を与え合いました。そこでは多くのプロジェクト(共同作業)がなされました。この創造的な作業が私の後の仕事に大きな影響を与えたのです。また、ニューヨークでの勉学も同様に素晴らしいものでした。それはダンスの最盛期でした。多くの卓越した教師たちや振付家たちとの仕事、そして数え切れないほどの経験と出来事。全てが同時に隣り合って存在していたあの頃。それらは私にとって、とても深く、重要な印象として残っているのです。

そんなわけで、新たに創設されたフォルクヴァンク・バレエに戻るという申し出を受ける決断をすることは、私にとって大変難しいことだったのですが、私は踊り、教え、私自身の最初の振付を行い、そしてこのバレエ団の監督となりました。そこでは私は再び多くの新たな経験をし、そしてまた責任を持つことになりました。

1973年以来、私たちはヴッパタール舞踊劇団として、ヴッパタールの舞台に立っています。ここで私は私のダンサーたちと共に長い道のりを歩んできました。毎日が、うそ偽り無く、私たちと私たちをとり囲む世界についての新たな発見の旅でした。それは緊張感に溢れ、時に非常な困難と痛みに満ち、しかしながら幸せな道のりでした。40本近い作品を制作しましたが、その多くは他の国々の都市との共同制作によるものです。

人生の場面場面において、どんな時にも挑戦と危機がありました。そのことについてもお話したいと思っています。とても難しく、もう、どうにもなりそうもないと思われた状況について、また、そのような状況から、私たちの仕事にとって、新しいもの、進むべき道を示すものがどのように生まれたかについて。

【関連情報】
記念講演録(PDF)
ワークショップ

ワークショップ

舞踊演劇の世界―語りかける身体

"Dance Theatre — Body Tells"

日時
2007年11月12日(月)13:00~16:30
場所
国立京都国際会館
企画監修
高階 秀爾 [京都造形芸術大学 大学院長(思想・芸術部門 審査委員会 委員長)]
主催
財団法人 稲盛財団
後援
京都府 京都市 NHK

プログラム

13:00
開会挨拶 高階 秀爾
受賞者紹介 新藤 弘子 [(専門委員会 委員) 舞踊評論家]
受賞者講演 ピナ・バウシュ [思想・芸術部門 受賞者]
「説明の要らない表現を」
インタビュー聞き手 貫 成人 [専修大学 教授/哲学者・舞踊評論家]
14:20
休憩
14:40
パネル討論 「舞踊演劇とは何か」
座長 高階 秀爾
パネリスト 尼ヶ崎 彬 [学習院女子大学 教授/美学者・舞踊評論家]
貫 成人
松岡 和子 [翻訳家・演劇評論家]
受賞者 ピナ・バウシュ
16:30
閉会
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